【正月】おせち料理の歴史と種類【御節】

豆知識



どうも、ハマちゃんです。今回は寿司とは少しかけ離れますが、おせち料理について解説していきたいと思います。

ーこの記事を読むとわかる事ー
❶おせち料理の発祥と歴史
❷おせち料理の種類と意味合い

【正月】おせち料理の歴史と種類【御節】

改めまして、明けましておめでとうございます。今は2021年1月8日です。

早速本題に入ります。

正月に食べるお料理のことを「おせち料理」と言いますが、もともとは季節の変わり目の節句に神様にお供えする為に作られる料理のことを「おせち料理」と言いました。それが今ではその中でも正月が特に重要な節句であることから、正月料理の事を「おせち料理」と呼ぶようになったのです。

本来おせち料理は年神様へお供えする料理ではありますが、現代では家族が幸せに暮らせる事を願う縁起もので、五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの祈りを込めていただくお料理です。

普段何気なく食べている「おせち料理」にも歴史があり、色んな習わしがあります。

その意味を知ることで本当の意味で新年を迎えられたことを喜び合い、明るく豊かな1年を過ごせるようにお祈りできるかと思います。

おせち料理の発祥と歴史

まずおせち料理の歴史を振り返ると、季節の変わり目に神様に穀物の収穫を感謝する風習の「節供(せつく)」が起源です。

起源は弥生時代に遡る

起源となる「節供」と言う風習は弥生時代に生まれます。

縄文時代の終わりに中国から稲作が伝来し、弥生時代にかけて稲作文化が広まっていきます。その頃に同じく中国からの教えにより、「節」を季節の変わり目とする暦ができます。

要は今で言うカレンダーのような物が伝わってくるわけです。

当時はその季節の変わり目である「節」ごとに稲作の収穫ができた事への感謝を祈り、収穫した作物を神様にお供えする事で表現する風習がありました。

そして、その「節供」として神様にお供えした作物を使って作られた料理の事を「おせち料理・御節供」と呼び、現代の「おせち料理」の起源となりました。

風習から儀式が生まれる「節会(せちえ)」

この風習は時代の流れとともに平安時代には定着し、「節会(せちえ)」と呼ばれる節の儀式として宮中行事で行われる儀式となります。

宮中行事とは宮中(皇居や宮殿)で行われる行事を指します。

要は神様に作物をお供えし神様にお祈りする風習が、宮中により節日が定められ、決められた作法と形式を用いて行われる儀式となったのです。そして、儀式の中で人を集めて宴会を開きお祝い料理を振る舞い、その日を迎えられた事を喜び合うと言う新しい風習が生まれたわけです。

儀式が大衆に広まり民間行事化

時代が江戸時代に入ると、人日の節句(1月7日)、上巳の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)が節日となり、幕府の公式行事として行われたと言われています。

この5度ある節句が五節句となり祝日として定められ、祝日となったことで大衆にも民間行事として広まります。

こうして風習であった「節供」が儀式となり、儀式の中で行う「節会」が、大衆に広まり民間行事となっていくのです。

おせち料理が正月料理として定着

大衆でも民間行事として広まったことで、1年に5回ある節句の日にお祝い料理として豪華な食材がふるまわれるようになっていきました。

前述もしましたが、五節句の中で新年を迎える特に重要な節句である人日の節句(正月)の料理が、「御節料理・御節供」の中でも正月料理として定着していったのです。

このように江戸時代には「おせち料理」が「正月料理」として定着しました。

また江戸時代後期に入る頃には、山や海の幸が「おせち料理」として振る舞われ、現代と同じように使う食材それぞれに意味が込められ、新年を祝い、祈りを込めて食べるお祝い料理となったようです。

ちなみに「正月料理」が「おせち」と呼ばれ始めたのは第二次世界大戦後です。それまではお家で作って食べる物でしたが、大戦後デパートなどで「正月料理」が「おせち」の名で売り出され、そこから「正月料理」が「おせち」と言われ始めたと言われています。

おせち料理の種類と意味合い

おせち料理の歴史がわかったところで、ここからはそのおせち料理の種類と意味合いについて解説していきます。

基本的に「祝い肴」「口取り」「焼き物」「酢の物」「煮物」の5種類で構成されることがほとんどですが、現代では和洋折衷の料理が取り込まれたりもしています。

地方によって品数や代表的な物の違いはありますが、現代では約30種類程の種類があります。今回はその中でも代表的な物を紹介していきます。

重箱に詰める理由

なぜ重箱に詰めるのかは割とシンプルで、幸せを重ねると言う意味が込められています。この重箱に詰める文化は江戸時代にはすでにあったと言われています。

正式な段数は四段とされていますが、その様式は様々でデパートなどでは二段、三段のものが主流です。五段の物もあったりします。

現代でもその意味合いを持って重箱に詰めますが、何よりの利点は重ねることで場所を取らずに済み、たくさんのお料理を振る舞いやすいことがあるような気がします。

黒豆

黒豆には邪気払いの意味と、勤勉にまめに働けるようにとの願いが込められます。

また黒色は中国の三代宗教において邪除けの色とされています。

数の子

ニシンの卵巣である数の子は、その数が多いことから子孫繁栄を願う縁起物とされています。

田作り(ごまめ)

カタクチイワシを肥料に使った田が豊作であったことにちなんで、五穀豊穣を祈願する祝い肴です。

「五万米」の字を当て、「ごまめ」とも言います。

たたきごぼう

ごぼうは地中に長くまっすぐ根を張ることから縁起のいい食材として有名です。

家の基礎が堅固であることを祈ります。

かまぼこ

縁起の良い紅白の物、または松竹梅の柄の物で縁起をかつぎます。

赤は魔除け、白は清浄の意味もあります。

伊達巻き

巻物(書類)の形に似ているため、知識が増えるようにとの願いが込められます。

栗きんとん

「金団」に因んで、金運アップを願う縁起物です。

紅白なます

祝い事に用いる水引をイメージし、平和を願う縁起物です。

鯛の姿焼き

「めでたい」と言うようにゴロ合わせで縁起を担ぐ縁起物です。

鰤の照り焼き

鰤が出世魚であることから、出世を願う祝い肴です。

車海老の艶煮

茹でるとお年寄りのように腰が曲がることから、長寿を祈願する縁起物です。

煮はまぐり

二枚貝であることから二つの貝殻がぴったり合うことから、夫婦円満を祈願する縁起物です。

昆布巻き

「よろこぶ」のゴロ合わせも良く、伊達巻きと同じように巻物に形が似ていることから、学問成就を祈願する縁起物です。

筑前煮

将来の見通しがきくとされる「蓮根」や、子孫繁栄の縁起物とされる「里芋(小芋)」、土の中で根を張る根菜を使用し末永い幸せを祈願する縁起物です。

祝い肴三種

これらの物の中から代表的な物を三品とお餅を揃えれば「おせち料理」としての形が整います。文化の違いにより、その三品に当たる物に違いがあり、関東では黒豆、数の子、田作り、関西では黒豆、数の子、たたきごぼうがそれに当たります。

これが「祝い肴三種」と言われます。

【正月】おせち料理の歴史と種類【御節】:まとめ

おせちに関して言うと今の時代では和洋折衷のおせちなどもあります。まさに「温故知新」、古きを知り新しきを知る。この姿勢が歴史的な日本文化を継承し続け、また新しい日本文化を生み出しているのです。

今回は「おせち料理」に着目して記事としましたが、日本の文化には色んな意味合いがあり時代の流れとともに変化していっています。

先人の知恵や考え方を学ぶ姿勢も大事。しかし、伝統を守っていくだけではなく、常識を知った上で常識を覆す。こうした今の時代にあった柔らかい発想力を持ち続けたい物です。